【THE REAL】鹿島アントラーズの強さの秘密(その2)…ピッチ外で共存する団結力とライバル心 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】鹿島アントラーズの強さの秘密(その2)…ピッチ外で共存する団結力とライバル心

オピニオン コラム

鹿島アントラーズ 参考画像(2016年12月14日)
  • 鹿島アントラーズ 参考画像(2016年12月14日)
■天皇杯の表彰式で訪れた異例の光景

キャプテンがカップを天へ掲げると同時に、選手たちも両手を突き上げて雄叫びをあげる表彰式のクライマックスがなかなか始まらない。鹿島アントラーズの二冠達成で幕を閉じた元日の天皇杯決勝後に、実は異例の光景が訪れようとしていた。

アントラーズの場合は37歳のレジェンド、MF小笠原満男がJ1年間王者を獲得したときにはカップを掲げている。しかし、大阪・市立吹田サッカースタジアムのピッチに設けられたステージの中央に、音頭を取るべき背番号40がいない。

向かって一番左側に目立たないように立っていた石井正忠監督のもとへ、小笠原は歩み寄っていった。天皇杯を差し出すキャプテンに対して、指揮官は手を振りながら恐縮そうに苦笑いを浮かべる。

このやり取りを見ただけで、小笠原が音頭役を石井監督に託そうとしていたことがわかる。最初は遠慮していた指揮官はGK曽ヶ端準やDF昌子源、MF永木亮太らにも促されて、中央へ歩を進める。

中腰のまま、ややぎこちない表情とともに、それでも力強く夕焼けがかった空へ掲げられた天皇杯。自身を除くベンチ入りした17人が笑顔を弾けさせる光景を、小笠原は一番左側で嬉しそうに見つめていた。

「間違いなく、このチームは石井さんが作ってきた。いろいろあったけど、石井さんのおかげで、ここまで来られたので」

試合後の取材エリアで、小笠原は大役を指揮官に託した理由を短い言葉に凝縮させた。キャプテンが言及した「いろいろ」には、チームを揺るがした夏場の“一件”が間違いなく含まれる。

8月20日の湘南ベルマーレとのセカンドステージ第9節。途中交代を告げられたことに激昂したFW金崎夢生が、石井監督との握手を拒否。その後も口論から一触即発の状態を招いた。

前代未聞の造反劇から一夜明けて、金崎が指揮官とチームメイトに謝罪。一件落着に思えたが、心労を募らせてしまったのか、石井監督が一時休養する非常事態まで引き起こしてしまった。

■指揮官とヒーローが募らせた感無量の思い

ファーストステージを逆転で制覇しながら、一転して極度の不振に陥ったセカンドステージ。自信が過信に変わった部分があるのかもしれない、と漏らした選手もいるなかで、さらなる荒波にさらされた。

そのセカンドステージの最後は、泥沼の4連敗で終えた。このままチャンピオンシップを迎えても、絶対に勝てない――。危機感が体を突き動かしたのか。小笠原は必死にチームメイトとの会話を重ねた。

「内部事情なので詳しいことは言えないけど、みんなでいろいろな話を、本当にいろいろなところでしました。勝てないなかでももがいて、苦しんで、とにかくチームが勝つためにしっかりやろうと」

裏方に徹し続けた小笠原の姿に、感謝の思いを募らせていたのだろう。石井監督は天皇杯を掲げる大役まで託してくれたキャプテンの心遣いに、試合後の公式会見で感無量の表情を浮かべている。

「(小笠原)満男はああいう性格なので、チームのために戦うことを常に頭に入れてプレーしている。キャプテンの彼が天皇杯を掲げるべきだと思いましたが、監督の私にまずカップを持たせてくれたというのは、常日頃から自分が犠牲心を払っていることの表れだと思っています。本当に嬉しく思いました」

もっとも、小笠原が演じた粋な計らいはまだ続く。続いて天皇杯を掲げる役を託されたのは、後半終了間際から小笠原に代わって途中出場し、延長前半4分に値千金の決勝弾を決めたFWファブリシオだった。

ポルティモネンセSC(ポルトガル)から期限付き移籍で昨年7月に加入するも、セカンドステージでは8試合で1ゴールに終わっていたファブリシオは、1月末で契約が満了になる。

アントラーズ側は期限付き移籍の延長は考えていない。つまり、ラストゲームとなる天皇杯決勝で殊勲のヒーローとなった26歳のブラジリアンは、万感の思いを込めて天皇杯を思い切り掲げた。

「チームの一員として、何らかの形で僕の最後の試合をしっかりと手助けできるように。それだけを考えてプレーしていた。それがゴールという形につながって、心の底から嬉しく思う」

■次々と天皇杯が手渡されていった意味

ファブリシオの次に天皇杯を手渡され、前列中央で天へ掲げる役目をうながされたのは、韓国代表としてワールドカップ・ブラジル大会に出場した経験をもつDFファン・ソッコだった。

決勝から4日後の5日に、契約満了に伴う退団が発表された。すでにチーム内では周知の事実だったのだろう。2年という時間を共有した、かけがえのない仲間をねぎらう思いがそこには込められていた。

天皇杯はさらにDF植田直通に手渡される。思い起こされるのは昨年6月25日。ファーストステージを制した直後のセレモニーで音頭を取る大役を務めた植田は、こんな舞台裏を明かしている。

「優勝を決めた直後から、満男さんから『熊本の方々がたくさん見ているから、お前がトロフィーを掲げろ』と言われていました。本当に満男さんに感謝したい」

植田が生まれ育った熊本県が「平成28年熊本地震」に襲われたのは4月14日。甚大な被害に見舞われた故郷の力になりたいと思い立った植田は以来、機会を見つけては救援や慰問で現地を訪れている。

そして、岩手県出身の小笠原も2011年3月の東日本大震災に心を痛め、いま現在もさまざまな復興支援活動を行っている。天皇杯を植田に託したのも、被災地に喜びを届ける意味が込められていたはずだ。

そして、GK櫛引政敏は勢いあまって後方へ倒れかけてしまうほど、天皇杯を思い切り天へ掲げた。清水エスパルスから期限付き移籍で加入していた櫛引も、1年での契約満了が5日に発表された。

もっとも、櫛引が指名されたのはもうひとつの意味がある。天皇杯を手渡された直後、リオデジャネイロ五輪代表GKは大きなゼスチャーで、ベンチ外の選手やコーチ陣、スタッフたちを呼び寄せている。

櫛引自身、37歳の守護神・曽ヶ端の後塵を拝し、公式戦の出場はYBCルヴァンカップ予選リーグの3試合に終わった。それでも常に準備を怠らなかったことで、チームに貢献してきた自負がある。

ピッチに立つ11人だけでは、長いシーズンを戦い抜くことはできない。仲間であり、ライバルでもあった29人の選手、裏方、そして職員を含めたクラブ全員でつかんだ栄冠。2016シーズンに対する感謝の思いが、櫛引を介して表現されていた。

■小笠原が熱い視線を投げかけた場所とは

川崎フロンターレを2‐1で下した天皇杯決勝が行われた元日をもって、強化部長職を務めて実に22年目を迎えた生き字引的存在・鈴木満常務取締役は、アントラーズの強さの秘密をピッチの外にも求めた。

「やっぱり選手がここぞというときに…選手というかクラブが結束する。一番はクラブで戦っていること。強化部とか事業部とか総務部もそうだし、運営や広報といろいろとあるけど、すべては勝利をつかみ取るためにやっている意識が非常に強い。そこは他のクラブよりは優れているのかな」

一体感。あるいは団結力。それらを語るうえで、絶対に欠かせない存在がある。全員お揃いの記念Tシャツに身を包み、最後に雄叫びをあげる役目を担った小笠原が、それを図らずも示してくれた。

天皇杯を掲げる前に、大きな身ぶり手ぶりで何かを訴えている。視線を送った先はゴール裏のスタンド。チームカラーのディープレッドで埋めてくれたサポーターたちと一緒に、喜びを分かち合いたかった。

「石井さんをはじめ、チームが1年間を通して勝ちにこだわって、タイトルを目指して目標に戦ってきて、最後に天皇杯を取れて非常に嬉しく思う。選手、スタッフ、サポーターが一丸となって戦えるのが、このチームのよさなので」

チームは家族だ、と説いたのはクラブの礎を築いた神様ジーコだった。黎明期に伝授された伝統が世代を超え、世紀をまたいでいまも力強く脈打っているところに、アントラーズの強さが凝縮されている。

そして、変わらないといえばもうひとつ。途中交代が多くなった小笠原はキャプテンマークを左腕に巻いたまま、ピッチを後にするケースが多い。一人の選手として、内心は悔しくてしかたがないからだ。

「自分としても最後までピッチに立てるように、もっともっと勝利に貢献できるようにしていきたい」

小笠原は個人的な目標をこう掲げている。何事に対しても「負けず嫌い」の精神を貫き通すのも、じゃんけんに負けただけで顔を真っ赤にして再戦を要求した、ジーコを起源とするアントラーズの伝統だ。

家族のような雰囲気と、慣れ合いをよしとしないライバル心。一見すると相いれない熱い思いを、たとえるならば車の両輪として、2017シーズンもアントラーズは力強く前へと進んでいく。
《藤江直人》

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