【THE REAL】川崎フロンターレ・中村憲剛が抱く矜持…歴代最年長でのMVP獲得がもたらす価値 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】川崎フロンターレ・中村憲剛が抱く矜持…歴代最年長でのMVP獲得がもたらす価値

オピニオン コラム
中村憲剛 参考画像(2016年6月25日)
  • 中村憲剛 参考画像(2016年6月25日)
  • 川崎フロンターレの中村憲剛 参考画像(2014年2月26日)
■歴代最年長での最優秀選手受賞

ちょっとした間合いが緊張感を高める。司会進行役の俳優、勝村政信からマイクを向けられたJリーグの村井満チェアマンが名前を読みあげる瞬間を、壇上の11人は神妙な表情を浮かべながら待っていた。

「2016明治安田生命Jリーグ、最優秀選手賞に輝きましたのは、ベストイレブン投票で断トツの1位を獲得いたしました、川崎フロンターレ、中村憲剛選手です。おめでとうございます」

7秒ほどの沈黙をへて、綴られはじめた言葉。所属チーム名が読み上げられた直後からは、ファンやサポーターの歓声が横浜アリーナ内に交錯して、村井チェアマンの声が聞きづらくなった。

20日夜に開催された年間表彰式のJリーグアウォーズ。まったく予想外だったのか。眩いスポットライトと万雷の拍手を浴びた瞬間、中村は目と口を大きく開きながら、言葉にならない声を発していた。

「今年の成績でいうとフロンターレはファーストもセカンドも取っていないし、チャンピオンシップも準決勝で鹿島に負けている。その意味でどうなのかなという部分もあったので、多少の驚きはありました」

フロンターレから最優秀選手賞を輩出するのは初めてとなる。加えて、36歳の中村は2013シーズンに35歳で受賞したMF中村俊輔(横浜F・マリノス)を超える、歴代最年長受賞者となった。

脳裏には、小金井第二中学校の1年次に産声をあげたJリーグの記憶がいまもなお刻まれている。なかでも強烈な輝きを放っているのが、1994年1月に初めて開催されたJリーグアウォーズだった。

「歴代の受賞者の先輩方は素晴らしい選手ばかりで。いまも色褪せないというか、カズさんがバルーンのなかからあの派手なスーツで登場したMVPに選ばれたことを、本当に光栄に思っています」

正装が義務づけられている晴れ舞台。黒いタキシード姿の選手たちが居並ぶなか、真っ赤なスーツで登壇した初代最優秀選手、FW三浦知良(当時ヴェルディ川崎、現横浜FC)に世紀をまたいで肩を並べた。

■ライバルたちに認められた頑張り

所属チームの成績と連動しているという、特にプロ野球に代表される他のスポーツの慣例と照らし合わせれば、年間順位で3位だったフロンターレからの選出は意外に思われたかもしれない。

それでも24回の歴史のなかで、J1の年間優勝チーム以外から最優秀選手が選ばれるのは、中村で9度目となる。年間6位だった浦和レッズのFWエメルソンが受賞した、2003シーズンのケースもある。

そこにはJリーグ独特の選出方法が反映されている。対象となるのはリーグ戦のみで、鹿島アントラーズが強烈な足跡を残したJリーグチャンピオンシップやFIFAクラブワールドカップは除外される。

そのうえでJ1の18クラブの指揮を執った監督18人と、リーグ戦で17試合以上に出場した選手たちにベストイレブンの投票権が与えられる。今シーズンは総勢256人の選手たちが資格を得ている。

セカンドステージが終了した11月3日の午後8時から、同11日午後6時までウェブによる投票を実施。各ポジションの得票上位選手のなかから、村井チェアマンが優秀選手賞を選出する。

今シーズンの優秀選手賞には33人が名前を連ね、そのなかからベストイレブンと最優秀選手が選出される。ちなみに、33人のなかでアントラーズ勢は昌子源、西大伍の両DFだけだった。

ウェブ投票では中村が最多となる148票を獲得。132票のGK西川周作、129票のMF柏木陽介(ともにレッズ)、128票の得点王・FWレアンドロ(ヴィッセル神戸)ら2位以下の選手を大きく上回った。

最終的には村井チェアマン、原博実副理事長、各クラブの実行委員(代表取締役)をはじめとする総勢22人の選考委員会による投票で最優秀選手が決まる。そのなかでも、中村は文句なしの支持を得た。

「一緒に戦った監督、選手の皆さんから多くの票をいただいたと聞いています。取りたいと思っても簡単には手にできない賞なので、1年間の頑張りというものが皆さんに評価されたことだと思っています」

ピッチで実際に戦ったからこそ、今シーズンの中村が残したインパクトがいかに強かったかがわかる。ライバルたちから投じられた票のひとつひとつに、中村は感無量の表情で感謝の思いを伝えた。

■テスト生からはいあがってきた軌跡

サイズは175センチ、66キロ。決して体格に恵まれているわけではない。中央大学4年次にはテスト生としてフロンターレの練習に参加し、努力の末にプロ契約を勝ち取った苦労人でもある。

頭角を現したのは2年目の2004シーズン。当時の関塚隆監督の発案で転向したボランチで、持ち前のるパスセンスが花開いた。中村を軸にこの年のJ2を制したフロンターレは以後、J1に定着する。

「大柄でもないし、身体能力も高くない僕が小さなころから『自分にできることは何か』と真正面から向き合い、コツコツやってきた結果、自分なりのプレースタイルを見出すことができた。Jリーグのなかでもまれて、日本代表にも呼んでもらえて、それがまた自信になってどんどん成長して来られた」

14年間におよぶプロ人生を振り返った中村は、歴代最年長での受賞という“快挙”を知らなかった。若手が台頭していない実態を指摘する声もあるなかで、中村は日々の積み重ねに矜持を込める。

「年齢は重ねていくもので、そのなかでいまの自分がアジャストできるかというところを、毎日のように自分と向き合いながら、日々の練習や体のケアにすべてを費やしている。それは自分のなかで普通のことですし、これからもちょっとずつアップロードしていかないといけない」

たとえば、自身の今シーズン初ゴールで名古屋グランパスに逆転勝ちした、3月12日のファーストステージ第3節。苦労して手にした白星を喜びながらも、中村は試合後にこんな言葉を残している。

「少なくとも今日の試合をオレは帰ったら(映像で)見るし、明日も見るし、多分、来週の半ばくらいまではずっと見るよ。それで課題をチーム全体で共有できればいいと思っているから」

サッカーを中心にした真摯かつ貪欲な日々。その積み重ねでテスト生からはいあがり、先輩選手たちからポジションを奪ってきた自負があるからこそ、これからも生き様やスタイルはまったく変えない。

自分を超えようとしてくる若手や中堅の挑戦は、真正面から受け止める。そのためには自分が残してきたものを超える努力を自らに課してみろ、というメッセージが言葉の裏側から伝わってくる。

■風間体制の有終の美を飾るために

2012シーズンの途中から指揮を執る風間八宏監督が掲げてき独特の理論は、ベテランの域に入った中村をして「30歳を超えてからも、こんなにも選手は成長できるものなのか」と感嘆させた。

だからこそ、風間体制で5年目となる今シーズンは「個人的にはかけている思いがすごく強かった」とある意味で集大成と位置づけた。結果としてシーズンを通して、上位戦線で戦うことができた。

総得点「68」はリーグ最多。ドラマチックな試合が続いたホームの等々力陸上競技場は、いつしか「等々力劇場」と命名された。それでも、チームが悲願としてきた初タイトル獲得はならなかった。

アントラーズに0‐1で屈したチャンピオンシップ準決勝に象徴される、肝心な試合をものにできない勝負弱さも何度か顔をのぞかせた。悔しさをにじませながらも、今シーズンの軌跡に中村は胸を張る。

「個人的には久しぶりにサッカーを楽しめたし、それは味方の選手の成長のおかけでもある。その結果として個人賞では最高のものを手にしたけど、これはチームを代表して自分が受けたものであり、周囲から『フロンターレのサッカーってこんなに面白いんだ』という評価も同時に受けたと思っています」

受賞スピーチでは仲間や首脳陣だけでなく、クラブのスタッフ、グラウンド管理や洗濯・掃除をしてくれる裏方、そしてサポーターを含めたフロンターレに関わるすべての人々へ感謝の思いを捧げた。

今シーズン限りで風間監督は退任し、3年連続得点王を獲得したFW大久保嘉人も退団する。区切りの年で手にした栄えある最優秀選手賞だが、いつまでもその余韻に浸っているわけにもいかない。

準々決勝に勝ち残っている天皇杯が、24日から再開される。フロンターレは2001、2007両年度に続く3度目のベスト4進出をかけて、敵地・味の素スタジアムでFC東京と対峙する。

「1年間優勝争いをし続けた経験というのは僕にも、チームメイト、クラブ全体にも残っている。来年こそもっと自分たちの質を高めてタイトルを取れるように、個人的にも先頭に立って引っ張りたい」

誓いを立てた2017年の元日に、日本一をかけて戦う権利を手にするために。現体制での有終の美を飾れるシーンを思い描きながら、中村とフロンターレは約1ヶ月ぶりとなる真剣勝負の舞台に挑む。
《藤江直人》
page top