【山口和幸の茶輪記】アデュー、ベルナール・イノー…ツール・ド・フランス最後のフランス王者 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】アデュー、ベルナール・イノー…ツール・ド・フランス最後のフランス王者

オピニオン コラム
2016ツール・ド・フランス最終日。シャンゼリゼの表彰台に向かう花道を歩くベルナール・イノー
  • 2016ツール・ド・フランス最終日。シャンゼリゼの表彰台に向かう花道を歩くベルナール・イノー
  • 2016ツール・ド・フランスの表彰台。右端がベルナール・イノー
  • 2011年末に都内で行われたツール・ド・フランスのコース発表会。ゲストの長谷川理恵と登壇したイノー(右)
  • イェンス・フォイクト(中央)にリーダージャージを着せるサポートをするベルナール・イノー(2001年7月14日)
  • リシャール・ビランク(中央)に山岳賞ジャージを着せるローラン・ジャラベール(左)とベルナール・イノー(2003年7月14日)
  • クリス・フルームと握手するベルナール・イノー 参考画像(2016年7月22日)
  • ベルナール・イノー 参考画像(1986年9月6日)
  • ベルナール・イノー 参考画像(1979年3月19日)
ツール・ド・フランスで歴代最多タイとなる5度の総合優勝を飾ったフランスの英雄、ベルナール・イノー。引退後は大会主催者の渉外担当としてこの大会の顔を務めてきたが、今季を限りに勇退する。

最後の業務は10月29日にさいたま新都心で開催される「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」だ。

日本のプロ野球界にたとえたら「長嶋茂雄」のような存在だ。1954年11月14日、フランスのブルターニュ地方で生まれた。ジタンチームに所属していた1978年にツール・ド・フランスで初優勝。以来ツール・ド・フランスは通算5勝、ジロ・デ・イタリア3勝、ブエルタ・エスパーニャ2勝、世界選手権ロード優勝など、あらゆるビッグレースを総なめにしていく。

1986年、現役時代のイノー (c) Getty Images

ニックネームは「ブルターニュの穴グマ」。集団を統率する威厳を持ち、格下選手にでしゃばった走りはさせなかった。1985年に5勝目となるツール・ド・フランス総合優勝を飾るのだが、地元フランス勢はこれを最後に総合優勝から遠ざかっている。1986年にはチームメートのグレッグ・レモンと確執が生じ、レモンにねじ伏せられて総合2位に。すぐに現役を引退し、その後はツール・ド・フランス主催者の専門委員に就任した。

■マイヨジョーヌ以外はアクセサリー

1990年に来日したベルナール・イノーにインタビューしたとき、「リーダージャージはどれが一番エラいのか?」と聞いたことがある。イノーは質問にきっぱりとこう答えた。

「個人総合成績の1位が着用するマイヨジョーヌだ」

さらにこう続けた。

「それ以外はアクセサリーだよ」

毎年のコース設計も担当してきた。2011年末にはボクがディレクターとして駆り出された東京でのコース発表会にも出演してくれた。

「どんなルートにしようかという作業は本当に楽しい仕事だ」と楽屋でイノーは話していた。

「エタップ(宿場町)となる町にはおいしいワインとチーズがあることが重要だ。まあフランスのどんな地方でもおいしいんだけどね…」

7月のツール・ド・フランス期間中は大忙しだ。毎日のスタート地点で地元の有志を集めたセレモニーに出席し、その町の代表者らと言葉を交わす。町長も村長もイノーは憧れのスーパースターなのだから話は短く打ち切れない。

レース中は「ベルナール・イノー」とクルマのボディに表示された関係車両でゴールへ。その町でもひととおりの社交をこなし、表彰台で選手にリーダージャージを着せるためのサポートもこなす。だれでもできるような地味な仕事に見えるが、マイヨジョーヌを5枚も所有するイノーがやるから価値があるのだ。

2001年、イェンス・フォイクト(中央)にリーダージャージを着せるサポートをするイノー (c) Getty Images

2003年、リシャール・ビランク(中央)に山岳賞ジャージを着せるローラン・ジャラベール(左)とイノー (c) Getty Images

2016年、クリス・フルーム(左)と握手するイノー (c) Getty Images

あるときには表彰台に駆け上がってきた暴漢をパンチ一撃で払いのけた。現役時代には猛暑のステージではジャージの胸元を引き裂いて走り続けたほどの無骨さは今も変わらなかった。

そんなイノーだが、61歳を迎えてツール・ド・フランス運営業務から退任した。7月の本大会では最終日となるパリ・シャンゼリゼで、主催者であるASOの社員が表彰台まで花道を作ってイノーを送り出した。

そして最後の業務となるのが「ツール・ド・フランスさいたまクリテリウム」である。日本のツール・ド・フランス人気は、1985年にNHKが「世界最大の自転車レース」として特番を放送したのがきっかけとなった。その年に鼻骨を骨折して血をしたたらせながらも5度目の総合優勝を達成したのがイノーだ。

往年のツール・ド・フランスファンにとっては、だからイノー勇退の報道は一時代の終わりを感じさせる。最後の日はぜひさいたま新都心で「アデュー(フランス語でさようなら)」と言葉をかけながら惜しみなく拍手を送りたい。
《山口和幸》

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