【THE INSIDE】上武大が優勝した関甲新学生野球連盟は“新”があることにも意味がある…大学野球探訪(5) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】上武大が優勝した関甲新学生野球連盟は“新”があることにも意味がある…大学野球探訪(5)

オピニオン コラム
新潟医療福祉大ノッカーは、佐藤和也監督自らが行う
  • 新潟医療福祉大ノッカーは、佐藤和也監督自らが行う
  • ホームの白鴎大はチアリーダーも出動
  • 関東学園大・佐藤大地君(4年・大宮武蔵野)
  • 関東学園大・武藤健君(3年・小鹿野)
  • 関東学園大・武藤公則君(4年・妻沼)
  • 関東学園大シートノック、仕上げの捕飛を打つ今井康輔コーチ
  • 関東学園大の円陣
  • 作新学院大・小林晃也君(2年・矢板中央)
2013(平成25)年の第62回全日本大学野球選手権大会で、亜細亜大を破って、初めて五大学日本一の座についた上武大が所属する関甲新学生野球連盟。

もちろん、連盟としても初めての大学日本一だった。上武大は秋の明治神宮大会では09年に準優勝を果たしているが、これが連盟としても初めての全国大会の決勝進出だった。

そういう近年の成績を見てみると、上武大がリーグを引っ張っているということになる。今季も、第6節を終えた時点で、上武大と白鴎大がともに勝ち点4の8戦全勝という成績で並んで、最終の第7節で直接対決。勝ち点を取った方が優勝という展開になって、初戦は白鴎大が奪ったものの、2、3戦と上武大が連勝して、上武大がリーグ4連覇を果たした。白鴎大は3季連続の2位という結果だった。

この実績でもわかるように、当面はこの両校が2強という形になって、リーグ戦は展開していくであろう。

白鴎大の注目、大下誠一郎君(2年・白鴎大足利)

関甲新学生野球連盟は、リーグ戦としてスタートしたのは1993(平成5)年からだ。それまでは、北関東甲信越大学野球連盟として、全日本大学野球選手権に出場していたが、91年に関東学園大が最初に出場。以降、関東学園大がリーグを引っ張っていく存在として5年連続出場。関東学園大を追いかけて、やがて95年秋に初めて上武大が優勝を果たす。それからしばらくは、上武大と関東学園大の時代と言っていいだろう。

当時の関東学園大を率いていたのが、現在は平成国際大の大島義晴監督で、自身が学生の時からスタートしたということもあって、運営そのものにもかかわってきた。やがて、97年に新設された平成国際大へ異動することとなるのだが、関甲新学生連盟のリーグ戦は徐々に形を整えていく。

リーグ戦としては、久しく関東学園大と上武大のどちらかが優勝していたという状況だった。それが03年秋に初めて平成国際大が優勝したことで、新たな時代に入ったと言えるようになった。リーグとしては、その前の年に久保田智之(滑川→常磐大)が阪神から5位指名、と小野寺力(鴻巣→常磐大)が西武から4位指名で相次いでプロ入りしたことでも注目されるようになっていた。

連盟としても発足が遅かったということもあって、加盟校も比較的新しいところが多い。それだけに大学関係者などにも、東京六大学や東都リーグの伝統校などと全国の舞台で互角に戦っていくことで、より強くアピールしていきたいという思いもあるだろう。そういう意味では、相次ぐプロ指名選手の輩出というのも意味が大きい。

また、リーグ戦の勢力構図としても、この頃から白鴎大も台頭し始める。02年秋に初めてリーグ2位となると、04年も春秋ともに2位。そして、05年春には悲願の初優勝を果たすと、秋も優勝で連覇。この頃からリーグは上武大と白鴎大は大の対決構図が強くなっていく。そして、もちろんリーグそのもののレベルも上がることで、やがて上武大が全国でも上位に進出していくようになったのである。

ところで、関甲新学生野球連盟という命名は、関東と甲信越の新しい学生野球という意味なのだが、実は“新”という文字にはもうひとつの意味がある。それは、「新潟もあるぞ」ということである。つまり、関甲新の“新”は「新潟」の“新”でもあるのだ。

発足当初は新潟大が一部で健闘していたが、加盟校の増加や私学の各校がスポーツ推薦や特待制枠を設けることによって強化を進めていくことで、国立の新潟大は苦戦を余儀なくされていった。

代わって新潟県勢で台頭してきたのが新興の新潟医療福祉大だった。創部したのは2013年で、高校野球指導者として新潟明訓を春2回、夏7回甲子園に導いた佐藤和也監督を、「新潟県の大学野球で新たな試みに挑戦してほしい」と招聘した。現在158人の部員がいるという大所帯になっている。

新潟医療福祉大・吾妻光一朗君(2年・小諸商)

医療福祉大が一部に定着してきたことで、リーグの試合日程は新潟市でも組まれるようにもなった。というのも、医療福祉大は試合会場となることの多い伊勢崎市の上武大球場には3時間半、小山市の白鴎大球場だと4時間をかけなくてはならない。しかも、バス一台しかチャーターできないため、全員を連れてこられないというハンデもある。「仲間の試合を見て学ぶということが出来ません。これは、やはり痛いですよ」と佐藤監督は言う。

佐藤監督は、大学では授業で、野球型スポーツの普及ということもテーマとして取り組んでいる。「上(プロや社会人野球)でやれる選手を出すということも大事なことですけれども、大学で野球というスポーツに取り組んでいくなかで、将来的にも野球を通じてスポーツに関係していったり、社会福祉や社会貢献に役立つ若者を輩出していきたい」という思いである。車椅子ソフトボールの普及などにも取り組んでいけるような若者が出てきてほしいという。

なお、新潟医療福祉大のユニフォームの胸文字は「NUHW」となっている。これは、「Niigata University of Health and Welfare」という洋表記の略称である。新潟医療福祉大が活躍することで改めて、関甲新学生リーグの“新”に意味が出てくるということにもなるであろう。
《手束仁》

編集部おすすめの記事

page top