【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスはパリなくしてあり得ないが観戦はここじゃない | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【山口和幸の茶輪記】ツール・ド・フランスはパリなくしてあり得ないが観戦はここじゃない

オピニオン コラム
Eiffel Tower(エッフェル塔)
  • Eiffel Tower(エッフェル塔)
  • Arc de Triomphe(エトワール凱旋門)
  • Place du Tertre(テルトル広場)
  • Le Train Bleu, restaurant gare de Lyon(リヨン駅にあるレストラン、ル・トランブルー)
  • レストランのテラス席
  • エスカルゴ料理
  • Jardin de Luxembourg, public garden(リュクサンブール庭園の一般開放エリア)
  • Dinner on Parisian river boat(セーヌ川を航行する船でディナーを楽しむパリジャン)
パリには2013年、2930万人の外国人が観光やビジネスで訪れた。パリ市内に宿泊した日本人は48万4000人で、これは米国、英国、イタリア、ドイツに次いで第5位だという。そして世界随一のこの観光都市は、ツール・ド・フランスの最終到着地でもある。

◆シャンゼリゼにゴールするようになったのは1975年から

ツール・ド・フランスが世界最大の自転車レースとなったのにはいくつかの理由がある。フランスの国土が広大で、これを自転車で一周するには3週間かかること。アルプスとピレネーという激闘の舞台があること。そして決定的なのは最終日に花の都パリに凱旋することだ。

今でこそツール・ド・フランスのフィナーレは、パリのシャンゼリゼ大通りだが、シャンゼリゼ通りに凱旋するようになったのは1975年からだ。第1回の1903年はパリ近郊のビルダブレーにゴール。その翌年から1966年まではパリ16区のパルク・デ・プランスに。当初は自転車競技場だったが、現在はサッカープロチームのPSGが拠点とする競技場だ。そして1967年から1974年までは、ブローニュの森とはパリ中心地をはさんで反対にあるバンセンヌの森にゴールした。

パリの目抜き通りシャンゼリゼを完全封鎖して設定される現在のサーキットコースは1周7km。フランス革命時にはルイ16世やマリー・アントワネットが断頭台の露と消えたコンコルド広場に突入し、セーヌ川沿いを走ってルーブル美術館前の地下道で折り返す。再びコンコルドを貫いて走り、ナポレオンが建造を命じたエトワール凱旋門を回る。

◆最終日はもはやツール・ド・フランスではない

ただし、ひとつ言いたいことはパリではすでにツール・ド・フランスの総合優勝を争う激闘は終わっているということ。ツール・ド・フランスは最終日前日までに勝負どころのステージが終了し、総合成績のうえでは順位がほぼ確定する。最終日前日のゴール後にプレスセンターで優勝者インタビューが行われるのは、パリでの逆転はあり得ないという慣習からだ。選手やスタッフは最終日前夜が宴会というところも多く、そのため翌日の最終ステージのスタートはお昼過ぎに設定される。

日本からツール・ド・フランスに観戦しにいこうと思ったら、それはパリではなく山岳ステージなど正真正銘の激闘が目撃できるところをおすすめしたい。もちろん最終日のシャンゼリゼでもこのサバイバルレースを戦い抜いた選手たちが特別のレースを演じてくれる。途中で決死のアタックもあるし、敢闘賞もシャンゼリゼの区間優勝者もいて、観客を興奮させてくれる。それはフィナーレにふさわしいツール・ド・フランスの特別な部分だ。

ぜひ目撃してほしいのは、まだ総合成績が決まっていなくて、不安と期待の入り交じったツール・ド・フランス。地下鉄でアクセスできるようなところでは見られないと思うが、苦悩や幸福がにじみ出るような選手の表情を目撃してから、パリに足を運ぶと選手たちがどうしてそれほど死にものぐるいでパリを目指したかが分かる。パリは特別の町だからね。
《山口和幸》

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