【THE INSIDE】“球国愛知”と呼ばれる中で誕生した愛知大学野球…大学野球探訪(4) | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE INSIDE】“球国愛知”と呼ばれる中で誕生した愛知大学野球…大学野球探訪(4)

オピニオン コラム
愛知産業大・愛知大
  • 愛知産業大・愛知大
  • 愛産大・林君(3年・渥美農)
  • 愛産大のシートノック
  • 愛知学院大・後藤君(3年・静岡横須賀)
  • 愛知学院大・西山君(4年・常葉菊川)
  • 愛知大・和久田君(4年・大垣日大)
  • 愛知大のシートノック
  • 愛知大の試合前のトス打撃
よく言われる“球国愛知”という言葉。そのベースは戦前の高校野球の前身となる中等野球の時代に遡る。当時は、“愛知4商”と言われていて、中京商はじめ東邦商、享栄商に愛知商がそれぞれ覇を競い合っていた。

戦後の学制改革後、やがて中京商は中京を経て中京大中京となっていくのだが、新校名となっても2009年に全国制覇を果たして名門健在ぶりを示している。東邦と享栄もそれぞれ現在に至っている。高校野球となって、そこに名古屋電工(その後、名古屋電気→愛工大名電)が加わって、新たに“市内私学4強”という存在になり、県内の高校野球をリードしていく形となった。

その一方、愛知商は公立校でその伝統を維持しつつ健闘しているが、商業校という現実は野球のチーム強化という側面から見れば厳しい。

閑話休題、多くの人が愛知県の野球を語るとき、前述の話でも触れているように、やはり中京の話は欠かせないものとなる。その母体が梅村学園で、その傘下として中京大もある。高校の方が先に有名になってしまったのだが、学校法人としては大学のネームバリューアップも含め、高校を系列公職を強く示すという意味も込めて中京大中京とした。

中京大・真田君

現在では、浅田真央や安藤美姫をはじめ小塚崇彦、宇野昌磨といったフィギュアスケートの世界的な選手を多く輩出している。また、ハンマー投げの金メダリスト・室伏広治も中京大出身だ。

そんな中京大だが、野球で全国的に知られるようになったのは1970(昭和45)年の第19回全日本選手権大会で榎本直樹投手(その後、拓殖銀行を経てヤクルト)を擁して全国優勝を果たした時である。当時はまだ、大学野球と言えば東京六大学と東都が圧倒的で、そこに時折、関西六大学(現関西学生六大学)が力を示す程度だった。そして、その前年に初めて、その3連盟以外で首都連盟の東海大が躍進して注目されたところだった。

愛知大学野球リーグは、戦後になって正式に大学野球リーグとしてスタートして記録も残っている。いくつかの大学野球がそうであるように、愛知大学野球リーグも学制改革に伴って新制大学となったことが、ひとつのきっかけとなっているようだ。しかし、まだまだ全国的な力があるというものではなかった。そうした中で、中京大が全国の舞台で躍進したことは大きかった。

リーグの歴史を紐解くと、当初は帝国大学から移管した名古屋大が強く、5季連続優勝を果たし、愛知大、南山大なども続いて優勝していた。そして、1953(昭和28)年あたりから名城大、愛知学院大なども台頭してきて、中京大は57年春に初優勝している。以降、20年近くは中京大と愛知学院大の2強リーグの様相を呈していく。そこに、愛知工業大や名古屋商科大といったところも絡んでいくようになる。

愛知大のシートノック

愛知学院大は73年に全日本選手権で準優勝し、91年に明治神宮大会で全国優勝を果たす。また、愛知工大も85、86年と明治神宮大会で優勝、準優勝の快挙を果たしている。名城大も79年に明治神宮大会で準優勝を果たす。こうして、愛知大学野球連盟の代表も全国でその存在を示してきた。

現在は加盟校も飛躍的に増えて、1部6校、2部はAとBの2つのブロックに分かれて12校、さらに3部もA5校、B4校となっており、全27校。これは、全国的に見ても大所帯のリーグである。だから、一旦2部に落ちると、一部に這い上がってくるのはなかなか大変だ。かつて優勝経験のある愛知工大や名古屋商科大もなかなか一部に上がれず苦戦している。

リーグの名門と言っても過言ではない、優勝47回の愛知学院大や37回優勝の中京大も一時2部に転落していたことがあった。中京大は2部から戻った13年秋のシーズンに、ユニフォームを中京大中京が使用している筆記体の「Chykyo」というものから、かつての中京高校も使用していたゴシック文字で「CHYKYO」に戻してすぐの優勝だった。

中京大中京出身でもある中京大の半田卓也監督は、実は、ボクもこの「CHYKYO」のユニフォームは着たことがなかったので、着てみたかったんです。それで、1部に戻れたのを機に替えたのですが、それですぐ優勝できましたから、やはり縁起がいいです」と喜んでいる。

こうして、かつての愛知県の高校野球ファンにとっても懐かしいユニフォームが、実はこの愛知大学リーグで健在だったのである。また、帽子のCマークは中京大中京も現在使用しているが、変わらぬ伝統のもので、これもまたオールドファンにとっては懐かしいものである。

中京、帽子のCマークは愛知県の多くの野球少年の憧れだった

一方、愛知産業大、中部大といった比較的歴史の新しいチームも躍進してきて、1部に定着している。愛産大は学校創立も92年で、野球部は2000年に創部。系列の愛産大三河は、かつて甲子園出場も果たしているし、愛産大工も健闘している。中部大は66年創部で、09年春と14年秋にリーグ優勝を果たしている。

また、2部でも01年に創立し同時に創部した愛知東邦大や、かつては中京女子大で、吉田沙保里や伊調馨、登坂絵莉など女子レスリングの金メダリストを多く輩出していることでも知られている至学館大も虎視眈々と上を狙っている。至学館大は、系列校も今春センバツ初出場を果たしている。今春の県大会でも優勝を果たした。

他にも、中日の浅尾拓也を輩出した日本福祉大や元中日の高橋三千丈監督が率いる名古屋産業大に、かつての中京商春夏連覇のメンバーでもある平林二郎監督、加藤英夫コーチ、川口勉コーチなどがスタッフとして名を連ねている名古屋経済大。ロッテ時代に首位打者も獲得したことがある平井光親監督が率いる愛知工大など、新旧が入り乱れて鎬を削り合っている2部リーグもまた非常に面白くなっている。
《手束仁》

編集部おすすめの記事

page top