【THE REAL】規格外のルーキー、タビナス・ジェファーソンが描く夢…川崎フロンターレから世界へ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】規格外のルーキー、タビナス・ジェファーソンが描く夢…川崎フロンターレから世界へ

オピニオン コラム
タビナス・ジェファーソン(前列一番右)川崎フロンターレ新体制発表会見(2017年1月22日)
  • タビナス・ジェファーソン(前列一番右)川崎フロンターレ新体制発表会見(2017年1月22日)
■用意された背番号「26」に覚えた武者震い

用意されていた背番号「26」がもつ歴史を知った瞬間、モチベーションがさらに高まった。これを武者震いと呼ぶのだろうか。川崎フロンターレのルーキー、DFタビナス・ジェファーソン(写真:前列一番右)はプロとして踏み出す第一歩に熱い思いを込めた。

「(中村)憲剛さんや(三好)康児君がつけた背番号だと言われました。なので、憲剛さんや康児君が活躍していったように、自分もこの背番号でどんどん試合に絡み、活躍することで上の舞台に行きたいと思っています」

プロの世界では、場所や番号がよく「出世」と結びつけられる。後にチームのレジェンド的な存在となる選手が、ルーキー時代に使用した選手寮の部屋や、あるいは最初に与えられた背番号が典型的な対象となる。

そして、フロンターレにおける「26番」が、実は出世番号となる。昨シーズンのJリーグ最優秀選手賞を36歳という歴代最高年齢で獲得した大黒柱、MF中村憲剛がルーキーイヤーに1年間だけつけた番号だった。

中央大学の卒業を控えていた中村は2003年、テスト生として当時J2を戦っていたフロンターレの開幕前のキャンプに参加。見事に合格を勝ち取り、ルーキーながら34試合に出場して4ゴールをあげた。

翌2004シーズンには背番号をいま現在に至る「14」に、ポジションを攻撃的MFからボランチに移し、文字通り「心臓」として君臨。フロンターレをJ2優勝と、5シーズンぶりのJ1復帰へと導いた。

一方で「26番」は何人かの持ち主をへて、2015シーズンからはユース出身のホープ、MF三好康児へ託される。昨シーズンはU‐19日本代表で主軸を担い、今年5月に韓国で開催されるU‐20ワールドカップの出場権獲得に貢献した。

その三好が今シーズンから、FC東京へ移籍したエースストライカー、大久保嘉人の象徴だった「13番」に変わった。そして、「26番」がジェファーソンへ。期待が凝縮されたバトンが受け継がれたことになる。

■ラップ音楽に乗せた爆笑ものの自己紹介

ガーナ人の父とフィリピン人の母の間に日本で生まれ、日本で育った。性格を自己分析すると「とにかく昔から、誰からも『明るい、明るい』と言われてきた」となる。フロンターレでもさっそく、先輩選手たちから愛されている。

28日に打ち上げられた宮崎県内における第1次キャンプで同部屋となったのは、副キャプテンを務める25歳のDF谷口彰悟、28歳のFW森本貴幸、そして中村。畳の和室に布団を並べて、就寝時間をともにしている。

あるとき、中村から“指導”が入った。ツイッターの内容がつまらない、と言われたジェファーソンは一念発起。同部屋の3人が笑う背後で、自身のいわゆる“変顔”を鏡越しに写り込ませた写真を3枚、ツイッターで公開した。

谷口や森本と写ったカットでは上半身裸となり、高校生とは思えない、鍛え上げられた筋骨隆々のボディも披露。リツイートが2600を超えて、「反響が大きかった」と喜ぶジェファーソンに、さらに修行が課せられた。

フロンターレは毎年、キャンプ期間中に監督と新加入選手が一時帰京して新体制発表会見に臨んでいる。今年は1月22日の午後に、川崎市麻生区の昭和音楽大学に約1200人ものファンやサポーターが集まって盛大に開催された。

「いま宮崎でキャンプをしている、同じ部屋の憲剛さんから宿題を授かったので、ここで披露したいと思います」

そのハイライトとなる新加入選手による自己紹介。一番手でマイクを握ったジェファーソンは挨拶を終えると、おもむろに客席に向かって手拍子を促し、ラップ音楽に乗せて自ら考え出した歌詞に合わせて踊り出した。

よぉ、俺の名前はタビナス・ジェファーソン
俺の好きな選手はヘンダーソン
でもこのチームに入って損はさせない
こんな感じでにわかラッパーって言われるけど
これから言う川崎俺の庭

■フロンターレを新天地として選んだ理由

まさかの展開に、会場はもちろん爆笑の渦。愛称でもある「ジェフ」が何度もコールされた。ファンやサポーターに強烈な第一印象を焼きつけたジェファーソンは、照れくさそうに舞台裏を明かしている。

「昨日も憲剛さんの前で披露したんですけど、そのときはグダグダで、今日もまだグダグダだったのに、ファンやサポーターの方々が温かい目で見守ってくれて。本当に感謝していますし、このチームに来てよかったと思いました」

新体制発表は動画サービスの『niconico』で生中継され、中村もジェファーソンのパフォーマンスをチェック。自身のツイッターに、歌詞に「ヘンダーソン」と「俺の庭」が抑えられていた点を「ナイス」とつぶやいている。


「憲剛さんは僕に本当に気を使ってくれて、『伸び伸びやっていいよ』と言ってくれたんです。なので、お言葉に甘えて、伸び伸びとやっています」

緊張感を覚えることなく、プロの世界に飛び込めたことをジェファーソンは感謝する。そして、18歳のホープはピッチの上でも主役を演じられるポテンシャルを、成長途上の182センチ、77キロのボディに秘めている。

タッチライン際を何度も、それもトップスピードで上下動できるスタミナ。利き足の左足に宿る爆発的なキック力。そして、1対1における圧倒的な強さ。陳腐な表現になるかもしれないが、搭載された身体能力は規格外だ。

神奈川県の強豪、桐光学園の最終学年を迎え、獲得に名乗りをあげたJクラブは、ガンバ大阪やFC東京を含めて7を数えた。そのなかから、母校の地元でもあるフロンターレを選んだ理由を笑顔で説明する。

「周りは本当に上手い選手ばかりで、スタッフにも質の高い方々がそろっている。間違いなく日本一、質が高い練習をしているし、そのなかで自分の個性や特徴というものを、もっともっと発揮していきたいと思いました」

■2020年の東京オリンピックに馳せる夢

現在は母親のフィリピン国籍だが、帰化申請が可能となる20歳を待って日本国籍を取得。2020年に開催される東京オリンピックで生まれ育った国を代表して、左サイドバックとして躍動する姿を夢見ている。

「お父さんとお母さんは、自分の夢を応援してくれると言ってくれました。自分が東京オリンピックに出たい、日本代表として日の丸を背負って戦いたいと言ったときには、心から喜んでくれた。本当に感謝しています」

中学時代まではセンターバックだったが、桐光学園入学後に鈴木勝大監督の提案で左サイドバックに転向。前述した類希な身体能力をさらに生かせるポジションを得たことで、2年生になると全国レベルで名前が知れわたった。

迎えた最後の冬。キャプテンを託され、メンタル的にも成長したジェファーソンに率いられる桐光学園は、1回戦で長崎総科大学附属(長崎)にまさかの黒星を喫してしまう。試合後には号泣したジェファーソンは、必死に前を向いた。

「リベンジじゃないですけど、次のステップ、次の舞台で自分が成長していけたら。これからはサッカーで飯を食っていくので、そのためには早く切り替えないといけないと。いいものを先輩たちからどんどん盗んで、そのうえで左サイドからの仕掛けや体を張って守る仕事をして、フロンターレがタイトルを取るために欠かせない存在になっていきたい」

型にはめたくない、という鈴木監督の方針もあり、ポジショニングの甘さなど粗削りな部分もまだ残す。言い換えればフロンターレで戦術をしっかり学び、中村らのプレーを目の当たりにするとで、急成長する余地を残していることになる。

当面の目標は、5試合フル出場相当で結べるプロA契約を半年以内に勝ち取ること。「自分に重圧をかける意味でそう掲げました」と屈託なく笑うジェファーソンは、周囲から寄せられる期待と愛情をエネルギーに変えて全力で突っ走っていく。
《藤江直人》

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