徳島の片田舎で生まれた奇跡…池田高校の蔦文也監督、周圍の支えとともに | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

徳島の片田舎で生まれた奇跡…池田高校の蔦文也監督、周圍の支えとともに

オピニオン ボイス
徳島の片田舎で生まれた奇跡…池田高校の蔦文也監督、周圍の支えとともに蔦文也氏
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  • 徳島の片田舎で生まれた奇跡…池田高校の蔦文也監督、周圍の支えとともに蔦文也氏
  • 徳島の片田舎で生まれた奇跡…池田高校の蔦文也監督、周圍の支えとともに蔦哲一朗氏
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さわやかイレブン、やまびこ打線・・・高校野球で今も語り継がれる徳島県立池田高校。その池田高校野球部を指揮していたのが「攻めダルマ」の異名を持つ蔦文也監督だった。

その蔦監督の生涯を追ったドキュメンタリー映画「蔦監督 -高校野球を変えた男の真実-」が4月9日から15日まで東京・新宿K’sシネマ、16日から22日まで愛知・名古屋シネマスコーレで上映される。監督を務めるのは蔦文也氏の孫である映画監督の蔦哲一朗氏。孫から見た「蔦監督」や撮影中のエピソードについて話を伺った。

蔦文也は池田町の多くの人に支えられて生きていた

-撮り始めた頃はどんな構想だったのでしょうか?

「『まずはいろいろな人から話を聞かなきゃいけない』と思っていたので、とりあえずビデオカメラを持って会いに行ったという感じからスタートしました。編集のことは全く考えず、いっぱい撮って後で使おうというぐらいです。

ただ、ストーリーの軸として考えていたのは、テレビでは使うことができない話を使いたいと思っていました。きれいごとはなるべく排除してゆっくりと時間をかけて話を聞きました。その中で何気なく出た言葉をピックアップしましたね。「そんな話を聞きたかったんだ」と。魅力的な話の多くは、ほとんどがばあちゃんでしたね(笑)。ばあちゃんはカメラを意識せず、何でもズバズバと言うタイプでしたから」

-おばあさんの話、気になります

「じいちゃんの酒の話ですかね。昔の酒飲みがどれだけ大変かも話していました。夜になると池田町内のお店を探し回って、連れて帰ってくるというのが日課だったようです。でも甲子園夏春連覇でじいちゃんが有名になってからは、全国的に注目されるようになったのでおとなしくなったと聞きました」

-テレビで使うことができない話と言うと?

「僕が興味があったのは裏話というのか、悪い話の方に孫としては惹かれていました。じいちゃんのことをよく思ってない人にもお会いしましたし、時代ごとにそのような方が何名かいるんです。これまでテレビやマスコミでは出てなかった話だったので新鮮でした。いろいろな話を聞いていく中でよく思っていない人の名前がポッと出て、『どんな人ですか?』と聞いたら『実はこんなことがあって…』と。そしてその人にお会いして、それが続いていくような状況でした」

-それは興味深い一面ですね

「中にはじいちゃんの方針にどうしてもついていけない人たちが出てくるわけです。今はみんなが同じ練習をして楽しくというような方針だと思いますが、話を聞くとじいちゃんは上手な子は練習させて下手な子は草むしり、という方針だったんですね。意外とじいちゃんはプロ意識で生徒を扱っていて、それで反発する人たちが多くいたと思います。昔はそれで通ったかもしれませんが、時代が変わってできなくなったのも監督を退いた要因の一つかもしれません」

-撮っていくとだんだん面白くなっていったのではないですか?

「普通に撮っていたら今まで通りの良い話で終わるんですが、次第に当時反発していた人たちにもお会いできるようになったのは良かったですね。受け取り方によっては人によって全く変わってくると思います。蔦文也はただの破天荒な人間ではなかったと僕は分かるんです。じいちゃんはすごく頭が良かったと感じていますよ。映画監督のような演出も考えてやっていたのではないでしょうか。人の動かし方やモチベーションを上げる方法がうまかったと聞きました」

-約4年間撮ってきて、どの段階で「そろそろ終わりにしよう」と思ったんですか?

「最初は池田高校が久々に甲子園へ出場した2014年のセンバツで考えていました。でも諸事情があってそのタイミングを逃し、また探っていたらばあちゃんが亡くなってしまって。実際、映画でもばあちゃんが亡くなるところで終わっているんです。編集している時は客観的に見ていましたが、池田町で初めて映画をお披露目した時に、人生で初めて自分の映画を見て泣いてしまいました」

-どんな感情があったのでしょう?

「苦労して完成したからではなく、ドキュメンタリーとして亡くなっていくばあちゃんが描かれていたんです。その時にばあちゃんの死や喪失を実感しました。それまでは池田町にいてもばあちゃんがどこかにいそうだと思っていたんですけどね。恥ずかしいですけど上映会では僕が挨拶しながら泣いていたんですよ。変な感覚でしたね」

-池田町の皆さんの反応はどうでした?

「基本的にばあちゃんの話で皆さん笑って、最後は僕のように泣くという感じでした。意外と笑って泣けるドキュメンタリーになっていると思います。ばあちゃんの話が落語家さんみたいな引き込まれる話し方で、皆さん楽しんでいましたね。じいちゃんは破天荒な一面もありましたが、それを『しょうがないな』と助けてくれた池田町の人たちがあの時代には多くいたんです。それが地元の人たちに伝わればなと思っていました」

-いよいよ東京でも上映が始まります。「ここに注目してほしい」というメッセージはありますか?

「まずは『池田高校・蔦文也』を知らない人が結構いると思うので、徳島の片田舎であのような奇跡が生まれたことを知ってほしい。それに『蔦文也は実はこんな人だった』と伝わればうれしいですね。『時代を変えた人、一時代を築いた人はこんな人だよね』というのを表現したかったんですが、それにはばあちゃんの存在が必要不可欠でした。蔦文也と蔦キミ子のドキュメンタリーとして見てほしいです。たぶん結婚されたり家族を持っている人は、いろいろと感じる部分があるでしょうね」

監督プロフィール
蔦 哲一朗
1984年生まれ、徳島県出身。祖父は池田高校野球部の元監督・蔦文也。 上京して東京工芸大学で映画を学び、07年に「夢の島」を製作。13年に地元、徳島の祖谷地方を 舞台にした映画「祖谷物語ーおくのひとー」を発表。東京国際映画祭をはじめ、トロムソ国際映 画祭で日本人初となるグランプリを受賞するなど国内外数多くの映画祭に出品され話題となる。 最新作、祖父である蔦文也監督のドキュメンタリー映画「蔦監督―高校野球を変えた男の真実 ―」が徳島県先行公開中、4月9日より新宿K’sシネマにて1週間限定公開。

(原題:池田高校野球部蔦文也監督のドキュメンタリー映画が公開。今明かされる、名監督の素顔とは? ~後編~)
記事提供:Timely! WEB

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