創業105年、自転車輸入・販売の老舗企業 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

創業105年、自転車輸入・販売の老舗企業

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 日直商会は自転車と自転車関連部品の問屋として1908年(明治41年)に、東京・神田で日向直次郎が創業。苗字と名前を1字ずつ取って社名とした。以来105年間、海外の自転車を中心に輸入・販売してきた。メーカーではないため、一般には馴染みが薄いが、日本の自転車その
  •  日直商会は自転車と自転車関連部品の問屋として1908年(明治41年)に、東京・神田で日向直次郎が創業。苗字と名前を1字ずつ取って社名とした。以来105年間、海外の自転車を中心に輸入・販売してきた。メーカーではないため、一般には馴染みが薄いが、日本の自転車その
 日直商会は自転車と自転車関連部品の問屋として1908年(明治41年)に、東京・神田で日向直次郎が創業。苗字と名前を1字ずつ取って社名とした。以来105年間、海外の自転車を中心に輸入・販売してきた。メーカーではないため、一般には馴染みが薄いが、日本の自転車そのものの歴史とともに歩んできた老舗である。

■海外から自転車パーツを輸入、組み立てて販売
日本に西洋式自転車が初めて持ち込まれたのは慶応年間(1865年~1868年)とされる。しかし輸入が本格化したのは明治20年以降とされる。初め日本の自転車市場はアメリカからの輸入車が大部分を占めていたが、明治末期になるとイギリスからの輸入が急増した。日直商会はこうした国からパーツを輸入し、組み立てて販売した。当時、自転車は高価な乗り物で、高所得階級しか買えなかった。そのため庶民の間では貸自転車を利用することが流行した。

■創業時すでに国産自転車が登場
創業時すでに日本最古の自転車メーカー、宮田工業(当時の社名は宮田製銃所)が国産第一号自転車を1893年に開発、販売していた。宮田製銃所と自転車の関わりは1889年、 東京築地(現在の明石町)にあった外国人居留地に住む外国人が、当時最新の安全型自転車を一台持参し修理を依頼したのが始まりだといわれる。1902年、自転車の将来性に着目。自転車製造に専念する。

■徐々に高まる一般の自転車需要
1898年(明治31年)、上野不忍池の周辺で自転車競走運動会が開催されるなど自転車競技大会も開かれ、大変な人気を集めたという。日直商会は次第に高まる一般需要に加え、陸軍への納入も始め隆盛を極めた。大正15年の初荷パレードの写真には、印半天を着た人々が木枠に入れた車体、部品を馬車に積んで運んでいるシーンが映っている。荷馬車の列は秋葉原駅までの1km近くも途切れることがなかったという。昭和3年(1928年)には、日本の自転車普及台数は500万台を突破したという。

■戦後の自転車ブーム、1960年のモータリゼーションの進行
第二次世界大戦中は自転車が統制物資になったため一般に販売することが禁じられ、厳しい時代を経験する。戦後、1943年(昭和23年)に日直商会は木造の事務所を建て、事業を再開する。戦後復興の中で運搬具や交通手段として自転車の需要が伸びる。しかし、1960年代(昭和35年~)に入ると、モータリゼーションが始まり、自転車はわき役に追いやられる。

■昭和32年、日向八郎現社長が日直商会に入社
現在の日直商会4代目 日向八郎社長(78歳)は、昭和32年にモータリゼーションの影響を受け、不況産業化しつつあった自転車業界に入社した。代々続く家業を何とか隆盛させたい。その思いは強かったが、世間では自転車は利便性のみで語られ、その主役は自動車にとって代わられつつあった。

■アメリカはおもちゃ、ヨーロッパはレース、日本は下駄代わり
自転車の普及の歴史をみてみると、「アメリカはおもちゃ、ヨーロッパはレース、日本は下駄代わり」として普及してきたと、日向社長は分析した。おもちゃや、レースにはお金をかけるが、下駄にはあまりお金をかけたくないのが心理。しかし、これからは日本でもヨーロッパ並みに自転車がレジャーやファッション、スポーツの手段として認識されるはずだ、と先を見通す。現状のマーケットを変えようと決断。そのためには実用自転車ではなく、魅力ある海外のスポーツ自転車を輸入する必要がある。

■ヨーロッパからの輸入スポーツ車に取り組む
昭和40年代、日向社長はアメリカの自転車業界の視察に出かける。さらにその1~2年後、フランスの部品メーカー訪問のため、単身で初めて渡欧。現地メーカー複数社を訪れ、商品を仕入れて帰国した。日本で販売すると、これが人気になった。さらに本腰を入れてヨーロッパからの輸入スポーツ車に取り組む。昭和52年には初めてツール・ド・フランスを観戦する。メーカのサポートカーに乗って、ツールのコースを選手とともに走り抜けた。その後もエキサイティングなイベント、ツール・ド・フランを観戦、日本でもスポーツとしての自転車普及を確信する。

■スポーツ自転車普及のために自社の実業団チーム結成
ツールを観戦した日向社長は、日本でのスポーツ自転車普及のために自社の実業団チームを持ちたいと考えるようになる。昭和60年「日直・シディ・カンパニョーロ」が誕生する。昭和62年の全日本実業団選手権は日直チームの選手が制した。やがて、チームは平成2年に解散する。しかし、今でも、日直商会は国内のレースでツーリングワゴンを走らせてニュートラルサポートを行っている。自転車競技への愛は深い。

■スポーツ自転車の最高峰デローザの輸入販売
日直商会は海外の多くのブランド自転車を輸入しているが、最も代表的な自転車が8年前の2005年から総輸入元となっているイタリアのデローザである。1953年、フレームビルド職人だったウーゴ・デ・ローザが設立した老舗名門ブランドで、「自転車のフェラーリ」とも呼ばれ、ライダー垂涎のハイエンドバイクである。フレームは最先端のカーボンファイバー、トラディショナルなチタンやスチールなどが揃い、日本国内の販売価格は20万円~180万円。技術力があり、しっかりとしたサポートができる全国約100店のサイクルショップを通じて年間約1000台以上を国内で販売する。また、他ブランドの販売では約1000店と取引がある。

■ミシュランとの取引は25年以上
日直商会がミシュランの自転車用タイヤを輸入したのは25年前。ミシュランに買収されたタイヤメーカー ウォルバーとの取引を含めると35年に及ぶ。こうした長い取引と信頼関係が、2013年発売のミシュランとのコラボブランド「ベロ・ミシュラン」誕生に至った。

■自転車選びの基本は「芯が出ている」こと
日向社長によれば、自転車選びの基本は「芯が出ている」ことだという。用途にもよるが、自転車のデザイン、持って軽い、ペダルを踏んで軽いが自転車選びの基本だが、それに付け加えて前後の車輪が一直線になる自転車、つまり「芯が出ている」ことが重要だと語る。当たり前のように聞こえるが、シティサイクルとして操縦安定性に影響することで、これができている自転車は思いのほか少ないという。
《編集部》

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