【甲子園】学生野球の監督はOBがやるべし 「18歳の自分を見ているよう」後輩との対戦は言葉にできない苦悩あり | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【甲子園】学生野球の監督はOBがやるべし 「18歳の自分を見ているよう」後輩との対戦は言葉にできない苦悩あり

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【甲子園】学生野球の監督はOBがやるべし 「18歳の自分を見ているよう」後輩との対戦は言葉にできない苦悩あり
  • 【甲子園】学生野球の監督はOBがやるべし 「18歳の自分を見ているよう」後輩との対戦は言葉にできない苦悩あり

夏の甲子園が始まり、例年発刊される週刊朝日増刊号は同誌が休刊のためAERAによる増刊号となったものの、体裁も内容も昨年までと同様だ。ここでは全代表校の監督の経歴が紹介されている。

毎年確認するのは監督の出身高校である。今年は49の代表校のうち20校の監督が母校を率いて出場している。残りの29校のうち浜松開誠館の佐野心監督だけが今年の地方大会で母校(浜松商)を倒して甲子園にやってきた。

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■夏の甲子園で母校と対戦した監督は過去2例

また、共栄学園の原田健輔監督の母校・浦和学院と創成館の稙田龍生監督の母校明豊(監督が在籍した当時の校名は別府大付)の2校は甲子園出場を果たしている。両校とも初戦で姿を消したが、組み合わせ抽選や勝敗の結果によっては、甲子園で母校と戦う珍しい監督となる可能性もあった。

高校野球に大変くわしい知人によれば、夏の甲子園で母校と対戦した監督は過去2例あり、第21回大会で嘉儀農林の近藤兵太郎監督が松山商と、第90回大会で大阪桐蔭の西谷浩一監督が報徳学園と、それぞれ甲子園で対戦している。なお、西谷監督は今年のセンバツでも母校大阪桐蔭に準決勝で対戦して敗れている。高校野球の監督は出身地で指導者となる例も多いので、29人の「母校以外を率いる監督」も、そのうち15人は自分が高校時代を過ごした地域で采配をふるっている。ということは、この15人は佐野監督と同様、甲子園を目指す後輩たちの前に立ちはだかる可能性がいつもある、ということになる。

現実には、地方大会では後輩と戦う監督という試合は毎年のようにどこかの地域で起きているはずである。母校以外の監督になるというのはいずれにしても地区大会か甲子園で母校と対戦する可能性があるということである。相手校にならないにしても、大会第5日の第3試合に最初の試合を戦った創成館の稙田監督はその日の第2試合を戦う母校のことも気になったのではないだろうか。

■「18歳の自分の姿を見ている気分に」

こういうことを前から考えていたわけではなく、これにはきっかけがある。2014年夏に母校が県大会に64年ぶりに決勝進出して敗れたときからである。松山にいる当時のOB会長から翌日の地方新聞記事が東京の勤務先にファクシミリで送られ、そこには私の時代と変わらぬデザインのユニフォームを着た選手がしゃがみこんで泣き崩れる姿が写っていた。それを見たとたんに私は職場で涙を流してしまったのである。

それは母校愛というようなものではなく、18歳の自分の姿を見ている気分にさせられたのである。写真の力は恐ろしい。後輩たちが自分の分身のように見えた瞬間だった。

「自分の分身を見つめる思い」で母校の後輩を応援した2015年センバツ 撮影:篠原一郎

その翌春のセンバツでありがたいことに二十一世紀枠で出場を許されて開会式で感動したのは昨年9月21日で書いたとおりである。試合の日は開会式の感動とはまた別のものに包まれる。チャンスに打席に入るときに「絶対に自分のバットで走者を還すぞ」という意気込みや、ピンチで守るときの「どんな痛烈な打球が来たって身体で止めてやる」と身をかがめてきた緊張感が観戦中に何度も私を襲う。つまり観客席にいてもやはり18歳の自分がそこにいるような気分になったものだ。

自分の人生でも特別な時間だったのだが、わかってもらえるだろうか。

このような気になるのはユニフォームが変わらないという要素は小さくないと思う。何度も観戦してきた東京六大学リーグ戦では落涙するようなことはなかったのである。他の5大学のユニフォームは百年近く変わっていないが東大だけ折に触れて変わる。自分が卒業してから40年の間に3度もデザインは変わっている。ヤンキースやドジャースやサッカーのアルゼンチン代表のように、子供たちが小さいころから憧れて「大きくなったらあのユニフォームを着てプレーしたい」と思わせるようであってほしいものである。弱いチームほどユニフォームが変わる、と言い切ったらサッカー関係者から叱られるかもしれないが。

それはともかく、甲子園がかかる地区大会や甲子園の全国大会で、毎日苦楽をともにしてきた自軍の選手はいうまでもなくかわいい、監督としても当然勝ちたい、しかし十代の自分と同じユニフォームを着た自分の分身たちが違うユニフォームを着た自分を倒しに必死で挑んでくる。それはことばに言い表すことができない苦しいものかもしれない。多くの監督は冷静に勝負に徹することができるのだろうけれども、微妙な采配で負けたときに、「あんたは後輩が勝ったからよかった」などとOB会から皮肉のひとつも言われたかもしれない。

成績が出ないときなど、外部の血を入れたほうがいいという意見も出てくるかもしれないが、母校と対戦するという可能性がある限り、こういう切ない思いをしないためにも、やはり監督はOBがつとめるほうがいいように私は思う。

サッカーの戦術や技術的なことはわからないが、強豪国から日本代表の監督を迎えるときには同じことを私は考えてしまう。FIFAワールドカップで優勝した国を挙げての歓喜を見るにつけ、「もしアルゼンチン人が日本代表の監督に就任し、将来アルゼンチンと決勝で日本を戦ったときに、その監督は母国アルゼンチン全国民をたったひとり敵に回して日本のために全力を尽くしてくれるのだろうか」と私は思ってしまう。

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著者プロフィール

篠原一郎●順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授

1959年生まれ、愛媛県出身。松山東高校(旧制・松山中)および東京大学野球部OB。新卒にて電通入社。東京六大学野球連盟公式記録員、東京大学野球部OB会前幹事長。現在順天堂大学スポーツ健康科学部特任教授。

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