復刻「新潟色」電車、懐かしの「黄赤」走る…ツアー列車で初運行 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

復刻「新潟色」電車、懐かしの「黄赤」走る…ツアー列車で初運行

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「初代・新潟色」をまとった新潟地区の115系。ツアー専用の団体臨時列車として運行された。
  • 「初代・新潟色」をまとった新潟地区の115系。ツアー専用の団体臨時列車として運行された。
  • 越後線・弥彦線の吉田駅で停車中の115系「初代・新潟色」編成。
  • 1978年まで運転されていた「初代・新潟色」の旧型電車。大半は70系の先頭車(クハ76形)と中間車(モハ70形)で編成を組んでいた。
  • 「初代・新潟色」の車両は大半が70系だったが、他の系列の車両も混じっていた。写真左の先頭車はクハ68形。
  • クハ68形のなかには他の系列の車両を改造したものも存在した。写真のクハ68形はサハ48形を改造したクハ47形をクハ68形に再改造したもの。
JR東日本新潟支社はこのほど、新潟地区のJR線で運用している115系電車の3両編成1本に、赤と黄色の2色による塗装を施した。かつて新潟地区を走っていた旧型電車の塗装を再現したもので、「初代・新潟色」などと呼ばれている。

車体塗装が「初代・新潟色」に変更されたのは、115系1000番台のN3編成(クモハ115-1044+モハ114-1061+クハ115-1044)。1月21日、ツアー専用臨時列車『懐かしの新潟色 越後ぐるっと周遊号』として、初めて営業運行が行われた。

N3編成は1月22日も『越後ぐるっと周遊号』として運行される予定。その後は新潟地区の普通列車で運用される。新潟~宮内間の臨時快速『摂田屋蔵開き号』(4月15日)など、春の臨時列車でも運用される見込みだ。

■多種多様だった「初代・新潟色」の旧型電車

新潟地区の国鉄線に普通列車用の電車が導入されたのは、1962年のこと。関西地区の電車10両が新潟鉄道管理局(現在のJR東日本新潟支社)に転属し、信越本線長岡~新潟間の電化開業にあわせて営業運行が始まった。

このとき導入されたのは、戦後の1950年代に製造された70系電車のモーター付き普通車(モハ70形)と、戦前に製造された51系電車の運転台付き・モーター無し普通車(クハ68形)という混合編成だった。その後も関東や東海、関西の各地区で新型の電車が投入されるたび、余剰となった旧型の電車が次々に新潟地区へ転属してきた。

当初は車体の色が茶色だったが、1964年9月以降、赤と黄色の2色塗装に順次変更された。この変更は、雪のなかを走行する際に車体を見えやすくするため採用されたといわれている。雪の多い地域を走ることから、警笛装置やサービス電源用発電機に雪よけカバーを取り付けるなどの改造も施された。

編成は4両または6両を基本としていた。編成両端の先頭車は、運転台付き・モーター無しの普通車。中間車は4両編成が全てモーター付き普通車で、6両編成はモーター付き普通車とモーター無し普通車の組み合わせが基本だった。利用者が多い長岡~新潟間などでは、複数の編成をつないだ8両編成や10両編成も見られ、当時の普通列車に連結されていた荷物車を含めると最大12両の編成で運転されていた。

中間車はモーター付きがモハ70形で統一されていたが、モーター無しは70系のグリーン車(サロ75形)を普通車に格下げしたサハ75形や、80系電車のサハ87形、さらには80系のグリーン車(サロ85形)を普通車に格下げしたサハ85形も使われていた。先頭車もバラエティに富んでおり、クハ68形のほか70系のクハ76形、サロ75形を普通車に格下げして運転台を追加改造したクハ75形が存在した。

このなかでとくに面白いのがクハ68形で、さまざまなバリエーションがあった。新潟地区で使われていたクハ68形の場合、製造当初からクハ68形だった車両のほか、40系電車のクハ55形を編入した車両、32系電車のクハ47形を改造した車両などが存在した。出自が異なるため見た目も異なり、とても同じ形式の車両とは思えないほどであった。赤と黄色の2色だけが、列車としての統一感を持たせた唯一の要素といえた。

新潟地区には100両以上の旧型電車が集結したが、1970年代後半には老朽化のため新型の電車が導入されることになった。まず北関東で運用されていた115系電車が転属。続いて115系に耐寒耐雪仕様を加えた115系1000番台が大量に新造され、これにより旧型電車は1978年8月、新潟地区から姿を消した。

■「懐かしい」けど「初めて」の色

新潟地区の115系は導入当初、他の地域で運用されている115系と同様、車体塗装は緑とオレンジの2色を採用した。新潟地区独自の塗装もいったん姿を消した。

国鉄分割民営化の前後には、115系が白・青・赤3色を使った新潟地区独自の色に塗り替えられ、さらには白・赤・黄3色や白・緑・黄緑3色などのバリエーションも生まれた。今ではこれらの塗装が「新潟色」と呼ばれることが多く、一部のメディアが白・青・赤3色の塗装を「初代の新潟色」と誤報したこともあった。

その一方、旧型電車がまとっていた赤と黄色の2色は、115系では採用されたことがない。「初代・新潟色」を115系がまとうのは、今回が初めてということになる。

ちなみに、「初代・新潟色」の旧型電車が運用されていたのは、信越本線の妙高高原~新潟間と上越線の高崎~宮内間、白新・羽越本線の新潟~村上間のみ。今回『越後ぐるっと周遊号』が運転された路線のうち、越後線と弥彦線、羽越本線新津~新発田間では運用されたことがない。これらの区間を初代・新潟色の電車が営業運転で走るのも、これが初めてだ。

115系は車体の形態も旧型電車とは異なるため、過去に一度もまとったことがない赤と黄色の塗装に、若干の違和感を覚えるところ。とはいえ、新潟で生まれ育った記者にしてみれば、なんだかんだいっても懐かしい。

ただ、新潟地区の115系も今では老朽化が進んでおり、新型のE129系電車の導入に伴い数を減らしている。赤と黄色に塗られた115系も、そう遠くない時期に引退することになるだろう。

懐かしの「黄赤」走る…復刻「新潟色」電車、ツアー列車で初運行

《草町義和@レスポンス》

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