女子100mでオリンピック3連覇を目指すフレーザー=プライスの挑戦…ナイキ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

女子100mでオリンピック3連覇を目指すフレーザー=プライスの挑戦…ナイキ

スポーツ 選手
シェリー=アン・フレーザー=プライス 参考画像(2015年8月29日)
  • シェリー=アン・フレーザー=プライス 参考画像(2015年8月29日)
  • 女子100mでオリンピック3連覇をを目指すフレーザー=プライスの挑戦…ナイキ
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  • シェリー=アン・フレーザー=プライス 参考画像(2015年8月29日)
ナイキは100m10秒7の壁を破ろうとする女子陸上短距離選手、シェリー=アン・フレーザー=プライスのこれまでの道のりを公開した。

短距離選手は10分の1秒という短い時間の世界で勝負している。世界記録保持者とチャンピオンの違いは、この瞬間で決められるのだ。女子100m走の現役世界チャンピオンで10秒78の記録を持つフレーザー=プライスは、その10分の1秒を意識している。

152cmという小柄な彼女は、母国ジャマイカで「ポケット・ロケット」と呼ばれている。スピードだけでなくタイムにもこだわり、テクニックを研ぎ澄ましているフレーザー=プライスは、「試合に出場する女子アスリートは、スピードを備えた選手です。4人、5人あるいは8人が接戦状態となれば、勝負を決めるのはテクニックの完成度になる」と語る。

スターティングブロックを飛び出す瞬間の微細な動き、例えば初速をつける段階での頭の位置にも配慮することで、10分の1秒ずつタイムを削り落としていく。フレーザー=プライスは、2008年の北京五輪で100mを10秒78で走り、21歳にして世界最速の女性、さらに100mで初めて金メダルを獲得したジャマイカ人女性となったが、それは1年前には誰も予想していなかったことだ。

フレーザー=プライスは1986年12月27日、ジャマイカ キングストンのあまり環境の良くないウォーターハウス地区のシングルマザーの家庭に生まれた。彼女がランナーになったのは、長男を身ごもるまで走っていた母のマキシーンから影響を受けたからだ。

ランナーを目指したフレーザー=プライスは、コーチのステファン・フランシスの厳しい指導のもとで練習を繰り返し、技術を磨いた。彼女は「今の私の走り方は自然なものではありません。学んで習得した技術」と話す。競技を始めた頃を「顔から走っていたような感じ」と振り返り、フランシスの助けによって技術を得たと語る。

磨き上げたテクニックによって2008年、周囲の予想を裏切って、フレーザー=プライスはジャマイカの100m国内予選で優勝候補に勝利した。北京五輪で金を獲った後、2009年の世界陸上で優勝。さらに2012年ロンドン五輪の100mについで、2013年と2015年の世界陸上でも勝利を手にいれた。リオデジャネイロ五輪で優勝すれば、オリンピック100mで3連覇を果たす最初のアスリートとなる。

しかし、フレーザー=プライスはいまだ100m10秒7の壁を破れていない。女子では過去にひとりだけがたどり着いた10秒6の記録について、「毎年、この壁を破れるよう感じられるよう、コンディションを整えています。もうドアに手が届いてノックしているような状態です。2016、うまくいけばその瞬間が来てくれるはず」と語っている。
《美坂柚木》

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