【THE REAL】成長途上の20歳・鎌田大地が秘めた可能性…サガン鳥栖の至宝から日本代表の司令塔へ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】成長途上の20歳・鎌田大地が秘めた可能性…サガン鳥栖の至宝から日本代表の司令塔へ

オピニオン コラム
サガン鳥栖公式サイトより
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■あどけなさと言葉の鋭さが生むギャップ

表情にはまだあどけなさが残り、どことなく牧歌的な雰囲気も漂ってくる。それでも、サガン鳥栖の若き司令塔、20歳の鎌田大地は聞いている側を驚かす鋭い言葉を、いきなり繰り出してくる。

たとえば、クラブ側から託されたさらに大きな期待の象徴として、昨シーズンまでの「24」を3年間にわたって空き番だった「7」に変えた背番号について、淡々とした口調でこんなコメントを残している。

「僕の好きな番号じゃないんですけど」

慌てて聞き直してみると、ガンバ大阪のジュニアユースでプレーしていた中学生時代からつけることが多かった「14番」が、いつしかお気にいりの番号になったと今度は屈託なく笑う。

「あとは『8番』も好きな番号なんですけど、先約がいましたからね」

ちなみに「14番」は現在のメンバーでは最も古い2004シーズンに加入し、キャプテンも務めた31歳のMF高橋義希が、「8番」は明治大学で長友佑都(インテル・ミラノ)と同期のDF藤田優人が背負っている。

もちろん、ひと桁に変わったことを、意気に感じていないはずがない。2試合を終えた今シーズン。柏レイソルとの開幕戦で12.258キロ、川崎フロンターレとの第2節では12.795キロをマークしている。

特に後者の数字は、2試合を終えた段階で、J1の全選手のなかで7位にランクされている。それでも、まだまだ余力を残しているとばかりに、不敵な笑いを浮かべた。

「無駄な走りがだいぶ減った感じですね。昨シーズンは走るときは13キロを超えていましたし、無駄に疲れていた部分もあったんですけど。距離そのものは走っているかもしれないけど、かなり考えながら、上手くさぼりながらできています。

僕としては、たとえば試合の最後にワンチャンスが訪れたときに、しっかりと仕留められるように(力をためて)、ということは常に考えながらプレーしています。ふた桁得点が目標と言っているし、昨シーズンは7ゴールで達成できなかったので」

■エース・豊田陽平との絶妙なやり取り

就任2年目を迎えたマッシモ・フィッカデンティ監督のもと、指揮官の母国イタリアでポピュラーな「4‐3‐1‐2システム」のなかの「1」、トップ下のポジションで攻撃を差配する。

「トップ下といっても、僕はサイドに流れるような動きが多い。味方の囮になるような場面が多いので、僕よりも前の人のチャンスが多くなると思うんですけど、それでもチームとしてやるべきことをしっかりやって、チャンスが来たときには自分もゴールできたらいいな、と」

フロンターレのホーム、等々力陸上競技場に乗り込んだ5日のJ1第2節。180センチ、72キロとトップ下にしては大柄な鎌田の体に宿る、稀有なセンスが具現化されたのは前半21分だった。

自陣でフロンターレのボランチ、エドゥアルド・ネットから味方がボールを奪う。パスを受けた鎌田は素早く前向き、斜め右方向へ向けてドリブルを開始する。

必然的にフロンターレの最終ラインが、鎌田が進む方向へ横ずれを始めた刹那だった。背番号「7」がおもむろにパスを繰り出す。標的となった真逆の左サイドには、スプリントをかけるFW豊田陽平がいた。

センターバックの谷口彰悟が急ブレーキをかけて、必死に足を伸ばす。その切っ先を寸分の狂いもなく通過したパスのコースは、豊田が走り込んだ先と鮮やかに一致した。

鎌田はほとんど豊田がいた左サイドを見ていない。それでも体の向きだけで相手を惑わせ、味方の位置を俯瞰的かつ瞬時に把握したうえで非凡なパスセンスを披露。一瞬にして決定機を作り出した。

左足から放った強烈なシュートを韓国代表GKチョン・ソンリョンに防がれてしまった豊田は試合後、11歳も年下の鎌田とのユニークなやり取りを、苦笑いしながら明かしてくれた。

「今日は比較的パスを出してくれましたけど、練習ではなかなか出してくれないので。聞けば『トヨさんばかりに点を取らせないようにしている』と。オレが取らないと勝てないだろう、と言っているんですけどね」

■所属した4チームへ抱く感謝の思い

8月5日でようやく21歳になる。サッカーを振り返るにはまだ早すぎる年齢だが、それでも鎌田はサガンを含めて、これまで所属してきた4つのチームへ感謝の思いを忘れていない。

「昔から巡り合わせがよかったというか、小学校、中学校、高校、そしてプロといいチームに入れたと思っています。そういうことに関しては、すごく運をもっている方なので」

生まれ育った愛媛県のキッズFC(現FCゼブラキッズ)でサッカーをはじめ、小学校6年生のときにはテレビ愛媛杯愛媛県少年サッカー選手権大会U‐12で優勝した。

才能を見込まれてガンバのジュニアユースの一員となったのが2009年。いきなりU‐13・Jリーグ選抜に選ばれたが、成長痛にけがが重なってなかなか実力を発揮できず、ユースへ昇格する扉を閉ざされた。

心機一転、進学した京都の東山高校の3年次には、チームが高校年代における最高峰の戦いとなるプレミアリーグWESTに昇格。残念ながら最下位で降格したものの、鎌田は10ゴールで4位にランクされた。

ミッドフィールダー登録ながらゴールを量産し、なおかつ体も大きい。まだまだ伸びる余地をも見せていた金の卵には複数のJクラブが興味を示したが、そのなかから鎌田はJ1に定着して間もないサガンを選ぶ。

ハードワークを合言葉に、無尽蔵のスタミナと屈強なフィジカルを身につけるために猛練習を厭わないサガンのクラブのカラーが、自身のさらなる成長に寄与すると本能的に感じていたのか。

ルーキーイヤーの2015シーズンから、森下仁志監督(現ザスパクサツ群馬監督)のもとで21試合に出場。デビュー戦となった5月10日の松本山雅FC戦では、後半終了間際にプロ初ゴールを決めている。

最終的には代表メンバーに残れなかったが、昨夏のリオデジャネイロ五輪で指揮を執った手倉森誠監督(現日本代表コーチ)も鎌田の急成長ぶりに注目。幾度となく代表候補として招集している。

■イタリア人指揮官が太鼓判を押した将来性

そして、サガンの2年目にフィッカデンティ監督と出会った。イタリア人ならではの勝利への執着心と、攻撃につながる微に入り細の守備を求める指揮官の指導は斬新で刺激的だった。

たとえば守備では、マッチアップする相手のボランチのケアを任される。守備を上達させるにはフィジカルをさらに鍛えて、球際の攻防を制さないといけない。意識もがらりと変わった。

「今日に関しては、ボールを奪い切るシーンはあまりなかった。僕一人で中盤の2枚を見る形になっていたんですけど、川崎の選手はみんな上手くて、間に合わないシーンも多かった。振り回されて、攻撃に切り替えるシーンもなかった。もうちょっとゴール前でボールに触らないと。

守備でもできるだけ自分のところからプレスをかけていければと思っていましたけど、難しかったですね。ただ、チームとして前から行こうというのはあったし、攻撃で味方の囮になる以外にもフリーランニングが多かったこともあって、自然と距離を走る形になりましたけど」

1‐1で引き分け、今シーズン初となる勝ち点「1」を手にしたフロンターレ戦後の取材エリア。課題がポンポンと出てきたのは、それだけ鎌田が見すえている視線が高いことを物語ってもいる。

「日々の練習に非常に真面目に取り組んでいる。スピードを失うことなく、強さを加えることができた。若手のなかでは明らかにトップ選手の一人であり、今後数年のうちに日本のトップレベルになると思う」

フィッカデンティ監督がここまで選手個人を褒め称えるのは、FC東京監督時代のFW武藤嘉紀(現マインツ)以来だろうか。指揮官の賛辞を伝え聞いた鎌田は、あうんの呼吸でこう返した。

「イタリアンジョークじゃないですか」

無邪気な笑顔を浮かべた鎌田を中心に、取り囲んでいたメディアの表情が一気に弾ける。ピッチで繰り出されるパスと同じく、突如として口を突く言葉は最後まで切れ味鋭く、聞く側の意表を突いていた。
《藤江直人》

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