【THE REAL】史上初の「50歳のJリーガー」も通過点…キング・三浦知良を走り続けさせる情熱の源泉 | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【THE REAL】史上初の「50歳のJリーガー」も通過点…キング・三浦知良を走り続けさせる情熱の源泉

オピニオン コラム

三浦知良 参考画像(2010年2月26日)
  • 三浦知良 参考画像(2010年2月26日)
  • 三浦知良 参考画像(1994年)
  • 三浦知良 参考画像(1995年2月5日)
  • 三浦知良 参考画像(2013年6月9日)
■「引退」の二文字を遠ざける不断の努力

おそらくは最初にして最後となる「知命のJリーガー」となっても、横浜FCのFW三浦知良の一日は変わらない。まずは練習開始の2時間前には、誰よりも早く横浜市内にあるクラブハウスに到着する。

入念に体をほぐし、自らの体と会話を交わしながら、不慮のけがを負う確率を可能な限りゼロに近づける準備を整える。練習は基本的にすべてのメニューを消化。ランニングでは先頭に立って走る。

練習を終えて家路に着くのも一番遅い。長いときで実に5時間ほども残るクラブハウスで、体のケアをほどこし、あるいはウエートトレーニングなど室内でできるメニューで汗を流す。

もともとアルコール類は苦手だが、シーズンが始まればほとんど口にしない。10パーセント未満の体脂肪率を維持するため、外食時には出された料理の画像を管理栄養士に送り、指示を仰ぐことも珍しくない。

「いつかは訪れることだけど、できる限り近づけないようにしたいよね」

生身の人間である以上は、避けては通れない現役生活との別れ。カズからこんな言葉を聞いたのは、京都サンガからヴィッセル神戸への移籍が決まった直後の2001年の正月だった。

あれから16年もの歳月が流れた。所属クラブが横浜FCへ、プレーする舞台がJ2へ、年齢の十の位が「3」から「4」をへて「5」へと変わっても、カズの不断の努力は続けられている。

レジェンドはピッチに立ち続ける
(c) Getty Images

自分よりも年下だった選手が、相手チームで監督として采配をふるうケースも少なくなくなった。ならば、カズはどこへ走っているのか。今後の夢を聞かれたレジェンドは、こんな言葉を残してもいる。

「先のことはあまり考えられなくて。明日また練習を一生懸命やって、次の試合へ向けた準備をして、ピッチに出られるように努力する。いまはその積み重ねだけで日々を過ごしている。目の前にある試合に出て、ゴールを決めて、1秒でも長くピッチに立っていたい。それがいまの僕の目標です」

■50歳を超えても現役として走り続ける理由

永遠のサッカー少年なんだと、あらためて思わずにはいられなかった。純粋無垢な姿に胸を打たれた。それでも、50歳の現役プレーヤーは世界でも稀有だ。何がカズを走り続けさせるのか。

「やっぱりサッカーが好きだ、ということに尽きると思う。実際、子どものころから僕はサッカーしか知らないし、サッカーしかやってこなかった。だからこそサッカーに心から感謝しているし、サッカーに対して失礼のないように全力を尽くしたい。自分の体と情熱が続く限りはやりたいと思う」

ブラジルの名門サントスと、プロ契約を結んだのが18歳のとき。日本サッカー界が「プロ」の二文字と無縁だった1990年に帰国してからは、図らずも「新時代の寵児」を担ってきた。

ブラジルでは左ウイングで確固たる居場所を築きあげたが、ツートップが主流だった当時の日本サッカー界に適応できなかった。最初の2シーズンは、わずか9ゴールに終わっている。

荒波に直面しながら、必死になってプレースタイルの一項目に「ストライカー」をつけ加えた。日本歴代2位の国際Aマッチ通算55ゴールは、もって生まれた才能だけに導かれたものではない。

日本代表の誇りを胸に躍動
(c) Getty Images

ブラジルで得たドリブルやフェイント、センタリングの精度はそのままに、前線のマルチプレーヤーとして存在感を放ったのは20代の終わり。当時と同じプレーはできないと、カズ本人が一番理解している。

「体力面に関しては、たとえば走り勝てるかと言えば、正直、大変になってきている。それでも技術やピッチ上での駆け引きなど経験で補えるものもあるし、どれだけゴールに対して貪欲になれるかという部分で、まだまだ伸びしろはあるんじゃないかと。

若いころのように、ドリブルもできた、センタリングもできた、スルーパスも出せた、ゴールも取れたとはなりませんから。自分がどこに集中するかによって、そこの部分での伸びしろがあると思うし、だからこそゴールに対する気持ちをもっと高めていきたい」

■開幕戦勝利で得た手応えと今後への教訓

今シーズンのホーム開幕カードが発表された1月12日から、横浜FCがニッパツ三ツ沢球技場に松本山雅FCを迎える2月26日のJ2開幕戦が一気に注目されるようになった。

理由はもちろん、開幕戦がカズの50回目の誕生日と重なったからに他ならない。チケットは前売り段階で完売。海外を含む74社、206人のメディアが殺到するなかで、カズ本人は苦笑いを隠せなかった。

「僕にとっては、試合の日がたまたま誕生日だったというか。試合にどのようにして臨むのか、ということだけをずっとイメージしてきた。自分の誕生日だから勝ちたい、というよりも2月26日の松本山雅戦に勝つことしか考えていなかった。

ただ、こうやって50歳でピッチに立てたことは本当に幸せでした。ピッチに入ってきたときも『誕生日おめでとうございます』という声がたくさん聞こえたし、ボードや横断幕、フラッグも出ていた。試合前だったけど、ちょっと泣きそうになっちゃいました」

先発メンバー発表でカズの名前がアナウンスされると、横浜FCだけでなく、大型バスで37台、総勢6000人が駆けつけた松本山雅のサポーターからも惜しみない拍手と声援が送られた。

午後2時4分。キックオフと同時に、Jリーグ最年長出場記録が「50歳と0ヶ月」に更新される。カズは相手GKにキャッチされた当たり損ねのシュートを1本放っただけで、後半20分にベンチへ下がった。

攻撃面ではコンビネーション不足が目立ったが、守備面では相手のボランチにプレッシャーをかける、あるいはパスコースを遮断する献身的な動きを披露。そのうえで手にした勝利に、こう言及している。

「このスタジアムで横浜FCとして満員になることは少ないけど、見ている人の心を打つサッカーをしていけばお客さんは集まる。そのためには選手が質の高い、今日のような気持ちの入ったサッカーをしていくこと。この雰囲気でまたできるように、自分たちがサッカーを突き詰めて頑張っていかないと」

■わずか2人となった1993年のメンバー

1993年5月15日に産声をあげたJリーグは、今年で25年目を迎えた。ヴェルディ川崎と横浜マリノスが対峙した歴史的な開幕戦の出場メンバーで、いまも現役なのはカズしかいない。

1993シーズンを戦った他の8チームの選手たちも、清水エスパルスのルーキーだったMF伊東輝悦(現アスルクラロ沼津)以外の全員がユニフォームを脱いでいる点が、時間の経過を感じさせる。

「25年目なのか、とは思いますけど、当時と比べればクラブの数もサッカーのやり方も、いろいろなことが変わっている。サッカー界は4年ごとに変わっていってしまうところがあるので、その意味では歩みというものを振り返る間もなく、毎日毎日が勝負というか、精いっぱいやっている感じですね」

全盛期のセリエAへ…ジェノア時代
(c) Getty Images

カズ自身もジェノアへの期限付き移籍をはさんでヴェルディ、クロアチア・ザグレブ、サンガ、ヴィッセルをへて、2005年7月に移籍した横浜FCで13年目となるシーズンを迎えている。

その間、2014シーズンはけがもあって2試合の出場に終わった。年齢的にも戦力外となってもおかしくない状況で、中田仁司監督は「横浜FCという力が、彼をバックアップしている点は正直あります」と認める。

だからといって、妥協は許されない。プロとしてあるべき姿を若手に背中で示し、もちろん戦力としても計算されているからこそ、指揮官も「かわいそうだからそこ(ピッチ)にいるわけではない」と力を込める。

「自分が18歳でプロになったときは、50歳までやるなんて考えられなかった。ここまで続けて来られたのは、いろいろな方々の支えがあったからこそ。特にいまのチームメイトは、もっと集中力を高めたいときに僕のことで周囲がざわつくことがあっても、文句ひとつなく受け入れてくれるので」

カズは神妙な表情で、横浜FCで出会った仲間に思いの丈を告げた。これまでも、そしてこれからも。感謝の念と昨日より今日、今日より明日と成長していけると信じる心が、希代のスーパースターを光り輝かせる。
《藤江直人》

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