【アーカイブ2009年】LOOK586 新たな領域に踏み込もうとしている…安井行生の徹底インプレ | CYCLE やわらかスポーツ情報サイト

【アーカイブ2009年】LOOK586 新たな領域に踏み込もうとしている…安井行生の徹底インプレ

オピニオン インプレ

【アーカイブ2009年】LOOK586 新たな領域に踏み込もうとしている…安井行生の徹底インプレ
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万能型カーボンフレームの傑作!







ハンドリングは安定指向。細かい切り替えしではアンダー傾向だが、直進安定性は非常に良好だ。ダンシングでもセルフセンタリング機構がついているかの如くフロントホイールは常に前を向かんとし、どの速度域でもどんな状態にあってもスタビリティは最高クラス。巡航性も素晴らしい。ペダルが勝手に回り続けるようなペダリングフィールは今までのLOOKの美点をそっくり受け継いでいるもので、まさに絶品。「あぁ、これは紛れなくLOOKだ」 と思わず頬が緩む。思うにこれが最もLOOKらしい部分であり、細身ホリゾンタル時代のLOOKは、これがあったからこそLOOKだった。



ヒルクライムもさすがに速い。剛性を武器に走るバイクではないので後ろからドカンと蹴り出される感覚はないが、シッティングで回していると上向きの引力に吸い込まれるようにスイスイと上ってくれる。ただ、踏み込むダンシングやビッグギアでのスプリントは苦手で、大トルクを入力するとしっとりとした感覚が顔を出す。とは言ってみたものの、それだって積極的に欠点を探し出そうという強い意思のもとに重箱の隅を突付くような走り方をして、やっと見つけた悪口にしかならない。



微振動は綺麗に消し去ってくれるが、ある程度以上の衝撃はしっかりと伝えてくる。しかし振動が全く尾を引かず、収束のスピードが異様に早い。ショックはたちまちパイプ内部に吸い込まれてビシャッと収まり、ライダーに残響を伝えない。収束スピードは今まで乗ったバイクの中でも圧倒的に早い。



E-POSTがエラストマーを介しているのでサドル部分の減衰性が高いのは当然なのだろうが、フレームの前半部分でも同様に収束のスピードを感じる。ヤワいバイクなら衝撃を下の方でうやむやにしてしまうことも、コンフォートの名を盾に太いタイヤで誤魔化すことも出来るだろう。しかしこの高剛性ボディでこの振動収束は凄い。原因はパイプ形状かフォークか素材か構造か、あるいはそれら全て、要するに設計だ。不愉快なはずである振動が、586においては一瞬の快感ですらある。







しかしこの586、僕個人の好みや主観に過ぎないが、ライダーを鼓舞するような高揚感には乏しい、と感じたのもまた確かである。なにもかもを冷静にやってのけてしまう。どこまでもクール。4~5年ほど前にLOOKのフラッグシップを張っていた481はもっと情緒的で乗り手に語りかけ、低速域からでも官能があった、と思う (それはもはや 「586に比べれば完成度が低かった」 と素直に言い換えるべきことなのかもしれないが)。だから、ロードバイクという乗り物に趣や妙味、刺激や野蛮さを求めるライダーは多少の物足りなさを感じることもあるだろう。それらと引き換えにしたか、しかし586のスタビリティは上限が見えないほど高く、総合走行性能は飛躍的に向上している。



だから “史上最高のクライミングバイク” は必ずしも的確な表現ではない、と思う。586が登坂に特化したイメージはない。高度な教育によって徹底的に躾けられた、洗練を極めた身のこなしこそが既存のバイクと最も異なるポイントだ。だから、“史上最高のソフィスティケイテッドバイク” というのが正しい (こんなコピーじゃ売れないけど)。







解析技術の向上によって開拓される新世界







走り出して数時間。586を心から楽しみ始めたころ、その印象を今まで乗ってきた数十台のバイクのものと対比させて、こんなことを強く思った。「ロードバイクという乗り物の性能は今、新たな領域に踏み込もうとしているのではないか」



ここ数年のロードバイクは、目に見えにくいところで、着々と、しかし非常に重要な進化を遂げているように思う。もはや 「剛性が高くてよく進む」 とか 「振動吸収性に優れて快適」 とか、あるいは単純に 「軽い!」 なんていう、シンプルな話ではなくなった。現に586は、単純に剛性 (や快適性や軽量性) だけを追求していた時代のバイクとは根本的に違う、という印象を僕に強く刻む。「LOOK史上最軽量」 だかなんだか知らないが、そんな表面的なことはどうだっていい。



この586に限らず、08~09ハイエンドモデルの中の数台から感じ取れるのは、たわみの “絶対値” よりも、たわみの限界点に至るまでの “プロセス” (フレームのどの部分が、どの部分とどんな関係で、どのように、どれほど、どのタイミングで、どんなスピードで、etc…) に設計の着眼点を置いた新世代バイクの出現、それである。



僕の愛するKG481SL (2台も乗り継いだ!) のしなやかさは確かにとろけるほど素晴らしいが、586に比べるとやはり曖昧で不明慮で、“たわみのプロセス” がこれほどまでに洗練されていない。少し前に乗っていたカレラのバイクは硬いだけで洗練にはほど遠く、粗暴であった (それがいいか悪いかはまた別の話)。







今、高剛性だけを叫んでみたり、不健康な軽さを誇らしげにアピールしたり、しなやかだぞ快適だぞと言い張るだけの単細胞的ロードバイクたちとは一線を画す、解析技術の向上による突然変異の新生児たちが、一人、また一人と生まれつつあるような気がする。



ただただ硬く作った5000系から一転し、全てが素晴らしく強く滑らかになった新型マドンの変化の様はそんな革命の好例かもしれないし、LOOKでいえば、585 (次回登場予定) から586への華麗なる変貌も、その具体例のひとつだろう。



新生児たち、それは単なる 「硬さ」 や 「振動吸収性」 ではなく、「変形の過程」 に着目し 「高度な解析」 を用いた設計により 「最適な挙動」 を全身で実現しはじめたロードバイクだ。もしくは、そのような研究・努力が初めて実を結び、乗り味に反映させることに成功した初めてのロードバイクか。 だから僕は、マドンや586のカタログに載る、白々しい美辞麗句の中でも最も胡散臭く思える 「新世代」 というキーワードを、抵抗なく受け入れることができる。



ロードバイクの座標軸が動きつつある。586の試乗を終えた今、そう思う。これからは、その変化に対応できる開発技術力を持ったメーカーとそうでないメーカーとの間で、製品の性能差が広がりブランド力に格差が生まれ、ロードバイク界で悲しい淘汰が始まることになるかもしれない。



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